【腰椎椎間板ヘルニア】〜入院20日目 手術日〜

ミエログラフィーで手術のための最終検査が終わり、さまざまな説明を受けたのが前回まで。


7月22日(月)手術日

いよいよ手術当日の朝を迎えた。前日の21時から水を飲んでいないので、朝から口が渇き気味。点滴を入れ始めたのが9時過ぎからなので、12時間以上体に水分が入っていない。やはり前日21時から飲水も駄目というのはちょっと早すぎる感じである。どうしてもそうしたいなら、夜のあいだも点滴で水分補給したほうがいい。

とりあえず、歯を磨いて口をすすいでみると乾きは収まったが、それもそんなに長持ちしない。そこで一計を案じた。マスクに濡れたガーゼを仕込んで、お手製の濡れマスクを作成。これは実に効果的で、口の渇きをいやすことができた。手術に臨む方は是非試してみて欲しい。

食事がとれないので、手術までは基本的にひまである。緊張感もさしてなし。私は以前痔ろうというちょっと特殊な痔の手術経験があって、これは下半身麻酔ではあったけど、結構大変な手術だった。手術室の経験もあって、術後のつらさもある程度わかっている。この経験が大きく、緊張感が少なかったのだと思う。

9時過ぎの点滴開始の前に、シャワーを浴びる。術後は抜糸まで2週間ほどシャワーは使えないので、ゆっくり入ってきてね、と看護師に言われる。2週間シャワー不可はちょっときついな。

とりあえずさっぱりしてから点滴開始。点滴について、針を刺すのが痛くてつらいとか、チューブにつながれているのがつらい、という人もいるけれど、私は全然平気なタイプ。

以前急性膵炎で入院したことがあるのだが、そのときは持続点滴といって、ほぼ24時間点滴を続ける。さらに食事がいっさいとれないので、栄養剤を入れたり、抗生物質や膵炎の特効薬などを点滴で入れるので、3時間程度は両腕に点滴を入れるのだ。また、それだけ点滴を続けると、針を刺している血管がすぐに限界を迎えて、2日に1回ぐらいは刺しなおしになってしまう。だんだん刺す場所も少なくなってなかなかうまく刺さらなくなり、ヘタな看護師に当たると、刺さるまで10回ぐらいかかることもあった。そのときに比べれば、今回の程度の点滴はへでもない感じである。

10時頃、初めて見る看護師が来訪。なんだろうと思ったら、手術室担当の看護師とのこと。手術に向けた説明とアレルギーや喫煙歴などの確認に来たようだ。10分ほど話をして終了。なかなか優しそうな人で、手術室の怖そうな看護師のイメージとは違って安心感がある。

12時、昼食の時間だが私は食べられないので特にすることもなくひまである。12時半頃に妻が到着。手術まではまだ時間があるので、外で食事をしてくるとのこと。妻のほうも私の手術や入院は過去に経験済みのため、特に緊張感もないようだ。

14時頃、手術の予定時間だが、看護師が来て、前の手術が終わっていないので少し遅れるとのこと。まあ予想通りである。

14時半頃、前の手術が終わるめどが立ったので、そろそろ術着に着替えてくださいとのことで着替える。術着というのは、ノースリーブのワンピースのような形状で、両肩と体の右側部分がマジックテープになっていて、簡単に裸にできるようになっている。実はルートブロックやミエログラフィーの時に着た検査着とまったく同じもので、新鮮味がなくちょっとがっかりである。

15時、いよいよ手術室に移動するとのこと。その前に、パンツを脱いで事前に購入したT字帯に履き替える。ふんどしを履いたのは初めての経験。なんとも心許ない着けごこちだった。さらに頭にはシャワーキャップのようなものをかぶり、足は血栓防止ようのきついハイソックスを履いて準備完了である。キャップをかぶった私の姿を妻が面白がって携帯で撮影した。のんきである。

手術室までの移動というと、ストレッチャーにのせられて家族がくっついて歩いている図が想像されるが、私の場合は歩けるので普通に歩いて移動した。手術室は2階で、エレベータを降りると、いかにも「手術室」といった感じの圧迫感のある大きな入口がある。この形状はちょっとどうだろうか。患者にも待っている家族にも不要な緊張感を与えそうだ。もう少しフレンドリーな入口にしたほうがいいんじゃないだろうか(笑)

家族とはこの入口の前でお別れである。入口の自動ドアをくぐると、さらにもう一つ大きなドアがある。こちらのドアは簡単には開かない仕組みで、基本的に手術室のスタッフじゃないと通行できない。このドアとドアの間のスペースで、私に付き添ってきた病棟の看護師と手術室の看護師が引き継ぎをする。ここから私の身柄は手術室のスタッフの手にゆだねられた。

引継ぎが済んで、奥のドアが開いた。両側に手術室が並び、全部で4部屋あるようだった。私は左奥の4番の部屋に案内される。そういえば病棟から歩いてくるときに普通に自分の靴(サンダル)を履いてきていた。これは普段普通に外で履いているスポーツサンダルだ。手術室にもこの靴のままズカズカ歩いて入っている。なんか衛星的にどうかと思うのだが、手が触れる場所でない限りそんなに関係ないのだろうか。

手術室に入ると、手術台の脇にあるストレッチャーに寝るように指示される。通常は手術台に寝るのだが、腰の手術はうつ伏せで行うため、ストレッチャーの上で麻酔をかけて、患者の意識がなくなってから、手術台の上にごろんと転がすようにうつ伏せにするとのことである。目覚めたときは再びストレッチャーの上に仰向けに寝かされているため、患者はうつ伏せになっていたことは分からない。

指示通りストレッチャーに寝た途端に、3人ぐらいの看護師の手が伸びて来て、血圧計やら酸素濃度系やらをつけられてあっというまに体中配線だらけにされてしまった。こんなに線が伸びていたらごろんと転がす時に大変だろうな、などと考えていると、口に酸素マスクをあてがわれてしまった。これでは鼻をポリポリかくこともできない。手術に臨む際は、配線だらけにされる前に、鼻をかいておくことをお勧めする。

酸素マスクを付けた看護師の脇にいた医師が、「麻酔医の○○です。よろしくお願いします」と挨拶。そしてしばらくすると、「いまふわふわとした感じがしますか?」。いよいよ麻酔をかけ始めたらしい。この時点ではまだなんともなかったので「まだなんともありません」と答える。頭の上にいた看護師が「このあと名前を呼びますから、聴こえたら返事をしてくださいね」と言った。

しかし、なかなか名前を呼ばれないうちに、マスクからちょっと怪しい香りが漂い始める。どうやら本格的に麻酔薬が出始めたようだ。数秒でめまいがして体がフワフワし始める。「(早く名前を呼んでくれないと、その前に意識を失いそうだなあ……)」と思ってから数秒後には意識を失っていた。結局名前は一度も呼ばれた記憶がない。

「……ん、……さん、Mさん(私のこと)、目を開けてください」という呼びかけが聞こえた。喉に違和感が感じながら目を開けるのと同時に喉の違和感が消える。どうやら私が目を開けたのを確認してすぐに、挿管されていた呼吸の管を抜いたようだ。意識が少しずつはっきりしてくると、のどに軽い痛みを感じた。からだはぐったりと重い感じ。同時に左足のひざの裏に強いしびれと痛み。

手術の体験記には「麻酔で意識を失ってから気が付くまでは一瞬で、時間がワープしたような感じ」というたぐいのことがよく書いてあるのだが、私はそうは感じなかった。感じとしては寝て起きたときに近く、ぼんやりとだが、意識を失う前との体の感覚の違いで、数時間程度の時間が過ぎていて、その間に体に大きな変化が生じたことは感覚的に分かるのだ。

「○○わかる?大丈夫?」と妻の声。どうやらもう手術室から出されたようだが、妻の顔はよく見えない。まだ視力が戻っていない感じだ。「うん。左足が痛い」とだけ言うのが精一杯だった。このあたりはやはり下半身麻酔のときとは違う。

「Mさん、手術は成功しましたよ。これが切除したヘルニアです。大きなヘルニアでしたよ」と主治医の声。私の目の前にヘルニアを見せてくれていたようだが、やはり視力が戻っておらず見えた記憶はない。

それからストレッチャーで病室に戻り、ベッドに移された。この頃になるとようやく視力が戻り、意識もはっきりしてきた。

手術編はここまで。次回は術後の長い夜について書きます。